「責任とは」
2018.05.28
あらためてこの国には、素晴らしい先人先達(せんじんせんだつ)が存在していたことを実感します。
《陸軍大将、今村均(ひとし)の生涯を描いた角田房子さんの『責任』に、こんな場面がある。
ラバウルで敗戦を迎え、戦犯となった今村と部下の参謀長は口論を始めた。
「責任は当然私が負うべきだ」「いや、命令した私の責任だ」。
まもなく始まる裁判で、お互いが相手の罪を少しでも軽くしようとしていた。
参謀長は無罪放免となり、今村はその後9年間、獄にあった。日本に送還された後も、
わざわざ赤道直下の炎暑の島の刑務所に戻っている。
部下とともに服役したいと、申し出たのだ。
「すべては私の責任です」。「悪質タックル」問題で、日大アメリカンフットボール部の内田正人前監督は、こう言い切ったはずだ。
しかし23日夜の会見では、「私からの指示ではない」と、宮川泰介選手の発言を真っ向から否定した。
ともに会見に臨んだ井上奨(つとむ)コーチは、
関学大のクオーターバック(QB)を「潰せ」と命じた事実は認めたものの、「ケガをさせろ」という意味ではないという。
まるで2人の指導者の真意を曲解して、選手が勝手に暴走したといわんばかりである。
宮川選手は前日の会見で、自分の犯した罪を受け止めて覚悟を決めているように見えた。
それに対して内田氏には、身を守る姿勢ばかりが目立つ。
今村は釈放後、自宅の庭に三畳の掘っ立て小屋を造らせ、自分を“幽閉”した。
角田さんによれば、多くの部下を死地に投じた「その罪責だけを見つめ、それを日常の行為に現わして生きた」。
内田氏は会見後、心労と不眠で入院したそうだ。
なにも「昭和の聖将」とまでたたえられた人物を見習えとは言わない。
一日も早く健康を取り戻して、分別ある大人らしい、責任の取り方を見せてほしい。
(産経新聞 “産経抄” 5月26日)
何度読み返しても「責任」、あるいは「責任の取り方」について考えさせられるコラム内容でした。
これほど、身を粉にして責任と向き合いながら日々を生き抜いた陸軍大将がいたのですね。
少し調べてみると....
登場する今村均大将は温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、
名将という評価を受けていたとのこと。
また人柄、エピソードは今日でも旧占領国の現地住民だけでなく、
敵国であった連合国側からも称えられています。
連合国総司令部マッカーサー元帥さえも
「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、
日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命じた」と伝えられています。
「聖将」という呼び名にふさわしい人生を生きた陸軍大将でした!